PCC治療家塾 ≫ PCC治療家塾代表花谷博幸について

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2013年9月2日
防犯対策に全国の接骨院が名乗り。柔道整復師が行う「こども110番」
2012/11/15
週刊文春とのコラボ企画
「患者満足推進協会」
2012/11/15
「腰痛クチコミバンク」が選ぶ全国優良治療院が週刊文春に掲載されました!
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花谷博幸ブログ
治療活動の中で感じる日々思う事柄経営者としての信条や新ノウハウを 日記にして書いていきます。
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花谷博幸とは?

花谷博幸について1

自己紹介をさせて頂きます。

 私、バランス整骨院 総院長 花谷博幸(はなたにひろゆき)は高田馬場の早稲田医療専門学校を卒業して鍼灸師になりました。

 専門学校入学前は中国山西省の人民病院という所で約3年間留学をしていました。
この病院では外国人を受け入れたのも初めてだったため、私のやりたいように全てのスケジュールを組んでくれたのです。

私は漢方科、鍼灸科、循環器科を中心に外科手術など日本では体験できない事を見ることができたのです。

特筆する事は私についてレクチャーしてくれたのが全てそれらの科の最高スキルを持つ先生方だった事と全て中国語でのレクチャー、問診、治療だった事(少し自慢)。
循環器科においては聴診器での問診などはまず私がその選別をして心音の悪い人だけ先生に送るという

日本では考えられないような事までやっていました。(もちろん無免許)

漢方科では有名な先生に出会えました。
原(ユエン)先生、文革以前の先生の中でも抜群にすばらしい人格者だった先生です。(文革後の先生のレベルはちょっと低い)

研修最初の頃、この先生に言われた事は

「花谷このような外来にはほとんど風邪や高血圧、狭心症がほとんどだけど、100人に一人か二人自分でも気づいていない病気を隠し持ってくる患者がくる、そんな患者を見逃さないかどうか、その患者を適切に専門家に診せられるかどうかで医者の価値が決まってくる。そのために98人を診るのだ」

と教えられ、それが今でも私の基礎になっている。

わたしが開業したのは鍼灸専門学校1年生の頃、留学から帰ってきて自信満々、開業したらすぐ行列のできる治療院になるだろうと理由もなく本気で思っていたあの頃です。

鍼灸の免許はなかったので整体治療院を開設。

午後3時に学校を終え、午後4時から10時まで診療。最初の月が月商15万円。
私一人が生きていくには十分だったが以降、行列はいっこうにできなかった。

しかし学生の間の生活費、年間100万円の学費、全てその治療院の売り上げで叩き出したのだから自分で言うのも何だが大したもので、今学生でアルバイトしながら学校に行く位なら同じ方法を薦めます。

結局自分の責任で患者さんを診なければ本当の能力は身につかないですからね・・。


トータル5回移転をしておりますが、3か所目の移転の時、それまで自分が温めていた治療体制でやっと出来る場所を確保したそんな折、新設して2ヶ月後に突然の火事が階下から起こり治療院は全て煙でいぶされ長期休業に追い込まれたのでした。

あの時消防士より「貴重品は持ち返って下さい」と言われ私は現金とカルテを、妻は入り口にあったスリッパを持ち返りました。なぜスリッパだったかといえば彼女が治療院新設の際、最後まで悩んだのがスリッパ選びだったからでした。

どんな不幸も過ぎれば伝説となるものです。最近ではセミナーネタの鉄板です。

開業当初の約7年間は患者さんが本当に来ない、たった一人の貧乏治療院でした。それでも自分を信じ、師に学び、技術や人間力の研鑽をし、帰国後は月20冊読書とアイデア夢ノート(現在64冊)の継続をノルマとして行ってきたことが今の発展につながっています。

2003年、治療院運営が安定すると、全国のプロの治療家、院長先生に対して経営や治療術を指導する研究会を立ち上げ、現在治療業界で最も大きい研究会を主宰するようにまでなりました。(想像つかないと思いますが・・)そのため全国各地で学習意欲の高い院長達に既にのべ数万人へのセミナーを年間20本ペースで主催しております。書籍の出版も7冊でき、お陰様で業界ではバイブル書籍としてその存在を維持しています。

2012年、小さな夢を達成しました。私が20代の頃よくナップザック1個で歩き回ったアジア大陸。特に長男が生まれた時に決めた夢。それはインドを二人で旅をすること。やっと小学校高学年になり、あの頃同様に二人で世界最貧困スラムを歩いてきました。強烈な体験として彼に世界を見せることができ、旅のスキルこそが生きるスキルだと教えてきました。また先ですが、次は次男です。

2013年、20年営んできたみずほ台のバランス研究所を閉じ、今まで分院であった柳瀬川にあるバランス整骨院にて診療をすることになりました。葛藤がなかったわけではありませんが、次に進むために決断をしました。

開業して25年を過ぎ、いつの間にかスタッフも増え、今はただ、業界をリードし、義のある後進を育成し、夢を語れる男になれるよう行動し続けることだと思っています。



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